安政4年(1857年)、箱館奉行は地場産業の育成振興の為、江戸幕府から産物会所の許可を得ましたが、その際陶磁製造業も地場産業の対象に加えられました。そこで、美濃国(現在の岐阜県)恵那郡岩村の陶工、偽冶と岩次(冶)の両名が、陶業を出願して許可されました。
翌年、足立岩冶は、産物会所や岩村藩の強力な援助のもと、総数46名の職人とともに箱館・谷地頭で窯業を実施、その後安政6年(1859年)生産に成功し、北海道で始めての偉業を成し遂げました。これが箱館焼の誕生であります。
箱館焼の生地は磁器と陶器がありますが、ほとんどが磁器で、呉須(ゴス)絵の上に透明釉をかけた染付けが大部分です。種類も、徳利・杯・茶碗・湯呑・香炉・急須・花瓶(へい)等さまざま。絵付けは完成度の高いもので箱館の景色・アイヌ風俗・蝦夷の民具など興味深いものが多く、土石の採取、製土、雛形、焼成と一貫工程の本格的な窯業でありましたが、残念ながら数年で途絶えることになりました。
しかし、今新たに夢をつなぐべき若い陶工が、函館各地に誕生しています。
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